無 量 寿 寺

由 緒

無量寿寺は、修蜜山来迎院無量寿寺で本尊は阿弥陀如来である。明応3年甲寅(1494)隆舜上人の開基と伝え、文亀3年(1503)の頃より下野小俣の鶏足寺未となる。
天和2年江戸護持院(護国寺)の隆光僧正が転任し再建する。酒井忠清の母は常陸の筑波山を信仰されていたので当山に帰依した忠清の考えもあって境内の山に筑波両神を勤請鎮座して山号を筑波山と改めた。 明治42年、荒口町の朝日大悲院観世音寺を合併する。宗旨は新義真言宗である。
山 門

山門から見た無量寿寺
平和観音像

平成6年秋
戦没者50回忌の法要として筑波山に「平和観音像」を建立。
文化財
[市指定重要文化財]
昭和50年12月14日

 [地蔵菩薩立像]

像高184.5センチ、木造で胴の背.前.両脇の三木寄せである。肩も両肩が別個に一木で造られている。手と足先は別木である。持物は右手に錫杖、左手に宝珠である。
[十一面観音立像]


像高71.5センチ、頭部に十一面を具し、顔の長さと幅がほぼ等しい丸顔で豊満な感じで ある。顔の部分には鉈彫りの手法がみられる。右手を下にし、左手で蓮華をさした水瓶を持つ。肩はなで肩、体全体に金箔を使った精巧な模様が描かれている。一本彫りで堅い桂のような材で造られている。


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